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今治で活躍している人にインタビュー

fenuaシェフ 森重 正浩さん

 「いつか故郷でレストランを」その夢を実現させるために大島へ移住した森重さん。海沿いの友浦地区に、まもなく夢のレストランがオープンする。それは料理人としての人生の集大成ともいえる作品になりそうだ。

海外の文化にあこがれて

 森重正浩さんは、広島県三原市出身。2020年の夏、26年間営んできた東京・奥沢のレストランを閉じて、今治市の地域おこし協力隊として大島へ移住してきたフレンチシェフだ。島の住民たちともポンポンと気のおけない会話を交わす、気さくな人柄で親しまれている。

 森重さんは地元の高校を卒業後、東京の専門学校で料理を学び、都内のレストランで働き始める。フランス料理のシェフを志した理由を尋ねると、「女性にモテるでしょ?」と冗談めかしながらも、少年時代に高い山から瀬戸内海を見つめて「あの先には何があるのだろう?」と思っていたという。紀行番組『兼高かおるの世界の旅』やトランジスタラヂオから流れる『JET STREAM』で育った世代だ。海の向こうにあこがれと好奇心を募らせていた。

 そんな森重さんだから、料理人としてフランスへ渡ることを決意したのは自然なことだろう。日本のフランス料理界では80年代前半頃から本場フランスで学んだ日本人シェフたちが次々帰国してきた、そんな頃だ。だが森重さんの場合、特にフランスにあてや紹介があったわけではなかったという。

フランスで出会った「キュイジーヌ・レジオナル」

 初めての海外「パリに着いて、安ホテルの一室から働かせてほしいと手紙を書きました。50通くらい。」と森重さん。たどたどしいフランス語で現地のレストランへかたっぱしから手紙を出した。が、受け入れてくれたのは1つだけ。それでもとにかく、レストランへの扉が開いた。そこから森重さんの料理の旅が始まる。フランスはパリ、ボルドー近郊のアジャン、食の都リヨン近くのアルプスの町アヌシー、そしてイタリアはミラノのレストランで経験を積む。

 なかでも森重さんに一番影響を与えたのは、アヌシーの三ツ星レストランのマーク・ヴェラ シェフだった。「香草の魔術師」と呼ばれ自然味あふれる料理で知られるが、元はなんと羊飼い。アルプスで育ったシェフはレストランのスタッフ全員を連れて山へ入り、自ら野草を摘んで一つひとつ説明するのだそうだ。子羊の料理にはこのハーブ、このスープにはこの香草など、その味はシェフの祖母や母の知恵だ。そうして採ってきた山野草がその日のメニューになる。フランス料理に自然の野草が取り入れられることに森重さんは衝撃を受けた。

 海外で4年半を過ごし、帰国した森重さんが実践したのが、この「キュイジーヌ・レジオナル(地域の素材を使った料理)」だ。それは森重さんにとって最も自然な料理の形だったのかもしれない。子どもの頃、山の中で父とキノコやタケノコを採ったり、畑にはいつも旬の野菜があふれていた。箱根のオーベルジュや、姉妹店の小田原のレストランでシェフを務め、そして東京の閑静な住宅街で日本家屋のレストラン「ラ・ビュット・ボワゼ」をオープンさせた。

いつか地元でおいしいフランス料理を

 26年間もの間、人気も評判も高かった店をたたんで突然移住を決意した理由は何だったのか。心にいつもあったのは、マーク・ヴェラ シェフの言葉だった。「マサ、日本に帰ったらいつかは地元に帰って地元の食材で地元の人に美味しいフランス料理を作ってあげなさい」それが実現できる場所を探し求め、ようやく出会ったのが大島の行き止まりの集落・友浦の久米だったという。

 「冬のある時、友浦の海岸線を車で通った時に雪景色の四国山地が見えたんです。まるでフレンチアルプスのアヌシー湖!アルプスの景色そのままでした。」と当時の感動をそのままに森重さんが語ってくれた。静かに開けた燧灘がまるでアルプスの湖のように見え、その向こうの石鎚山にアヌシーの風景が重なった。ここしかないと森重さんは決意した。

 森重さんは、また手紙を書いた。偶然知った今治市の地域おこし協力隊に応募すると見事熱意が伝わり、年齢制限(当時)を超えていたにもかかわらず宮窪地区の協力隊に採用される。地域に愛されるレストランを作るには、まず地域の人を知ることだ。協力隊として地域の自然を知り、農業を知り、漁船で漁も体験した。また地域の人々や子どもたちに大島の自然が育む食材の素晴らしさを伝える活動にも取り組んだ。

ロードムービー最終の地に描く夢のレストラン

 そしてもう一人、森重さんが大切な手紙を書いた人がいる。著名な建築家の隈研吾氏だ。久米の海、自然の素晴らしさ、そこに人々が集まる夢のレストランを作ること。想いのたけを綴った手書きの手紙は受け入れられ、隈氏自ら大島を訪れた。「この空気感すごいね、わかったよ森重さん!」と久米の地に共感してくれたという。

 この森重さんのレストラン「fenua」は、有名建築家が設計するだけではない。地域の人々の思いも込められている。建物を作るのは地元の工務店、テラスに置くのは巨大な大島石など、積極的に地元のものを使う。そのため工務店や石材会社の若手が隈氏の事務所に学び、意見を聞くなど意欲的な交流が始まっている。熱意は人を動かす。森重さんの熱意から水紋が広がるように小さな島に変化が起こっているようだ。

 まるで冒険のような人生を歩んできた森重さん、海外での修行や日々料理に向き合うことなど、これまで大変だったことは?とあえて尋ねてみると、「大変なことなんてないですよ、楽しいことばかりです。」と明るい。今は2024年春のオープンに向け、大島の食材をお皿にのせストーリーのあるフランス料理に仕立てる“キュイジーヌ・レジオナル”の構想をじっくりと練っているところだ。地元の食材で地元の人に美味しいフランス料理を提供する。その夢が間もなく実現する。木漏れ日がロードムービー特有の時間軸と日差しの中に佇む幻のような場所で…。エンドロールが流れる前にまだまだ冒険は続きそうだ。